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+++ ある春の物語---第一章 +++

----------- 『出逢い編−9−』 ----------


森から後一歩で抜け出る、という場所で、フランの足は止まっていた。
木陰に身を隠し、立っているのも辛く膝は折れた。
2日前に居た場所とは思えぬ程、変わりきっていた花園は、大地を剥き出しにされ、
痩せ細った若葉の亡骸が彼方此方に横たわっている。
フランは声も出せず、その光景に目を覆った。
程せず、スカールの手下の声に我に返った。
「居たぞ!こっちだ!」
だが、力も抜けきったフランは逃げる事も出来ずに、そのままスカールの元へと連れられた。

元々、フランと彼らは平和に暮らしていたのだ。
それだけに、スカールの手下となった雄花の精達も、フランを気の毒に思ったのだろう。
特に縄をかけるでもなく、一人の雄花の精が表情も硬く小声でフランに言った。
彼はフランに交際を申し込んだ、多くの雄花の精の中の一人であったようだ。
「すまない・・・」
その声に、更にか細くフランは応えた。
「いいの。ごめんなさい・・・わたしのせいで・・・こんな・・・」
彼はフランの答えに彼女から目を逸らしながら顔を顰めた。
「あの・・・聞きたい事があるの」
顔を顰めていた雄花の精は、ゆっくりとフランに振り向くと聞き返した。
「なんだい?」
「あの・・・お母様の・・・。母の眠っている場所は何処かしら?」
「さぁ。分からない」
「・・・そう」
「確か・・・亡くなったらしいね」
「ええ。兄から聞きいたわ・・・」
「そうか・・・残念だった」
そんな会話の中、スカールの元へと辿り着いた。

不自然にそこだけ小高く盛り上がった大地に、樫の木を倒して王座を造らせ、
腰も深く座り込んで、赤く光る野葡萄のワインを堪能しているところだった。
「スカール様、フラン嬢をお連れしました」
跪いた雄花の精が頭を深々と掲げて言うと、異様な静けさが辺りを包み込んで、
低く野太いスカールの声だけが耳障りに木霊した。
「おお、よくぞ戻ってきてくれた。我が姫よ」
そう言いながらゆっくりと歩み寄ってくる大きな影は、フランの側まで来て止まると、
肌を弾く大きな音を立てた。
バチン!!
「この尼め!」
小柄なフランは大きな骨張った手に弾かれて、儚げに倒れ込んだ。
その様子を周りにいたスカールの手下と化した雄花の精達は、固唾を飲んで見守った。
スカールは乱暴に柔らかな亜麻色の髪を掴んでフランの顔を引き上げると、
不適な笑みを浮かべて言い放った。
「喜ぶのだ。5日後の金環食の刻に挙式だ。美しい指輪をそなたに授けよう。フハハハハ」
フランを再び拘束するように告げたスカールは、高笑いを残してその場を去った。
涙を伝わせた頬は、まだ痛々しく赤みを差している。
そんなフランに先程の雄花の精が近付き、そっと手を差し伸べた。
「俺達にはこれ以上どうしてやる事も出来ない。悪く思わないでくれ」
その手を取ると、そっと首を縦に振った。
「あなた達が悪い訳じゃないわ・・・。ありがとう」
微笑むフランの顔が哀しく映っていた。

フランが連れられた場所は、大木の根本に太く伸びた蔓を幾重にも絡ませた、
まるで鳥篭のような独房だった。
その中に躊躇う事もなく無言のまま吸い込まれて行くフラン。
雄花の精達もまた言葉を掛ける事もなく、見張りの者を一人残して、その場を立った。
ここはもう春の園ではなく、秋の木枯らしが訪れてもおかしくない雰囲気である。
フランの脳裏に別れ際の兄、ジャンの声が過ぎった。
―――良いか・・・?必ず助けに来る。それまで何処かに身を潜めているんだ―――
「兄さん、どうしているかしら?どうか無事でありますように・・・」
胸の前で手を組んで目を閉じ、祈りを捧げた。
それからのフランは差し出された水も食事も何も口にする事なく、声を発する事もなく
ただ虚ろな目をして、人形のように小さく座っているだけだった。
「身体に悪いよ、フラン。責めて水だけでも・・・」
例の雄花の精がフランを心配して声を掛けたが、フランは彼に目を向ける事もなく、首を横に振った。

独房に入れられたままのフランは、その部屋に相応しいほど孤独を感じていた。
今まで当たり前に暮らしていた家族との平穏な日々や、
まだ恋にも到達しないような初々しい出逢いが、今となっては夢のような生活であった。
また、兄のジャンからの音沙汰も無く、フランの心細さを一層大きくさせていた。
そして、三日も何も口にしていないフランは段々と衰弱し、虚ろになる瞳は空のような蒼さを少しずつ曇らせていった。
ふと、茶色の優しい瞳を持つジョーの事が思い浮かぶ。最初で最後の口付け・・・。
目を閉じるとついさっき感じたようなその唇が、フランの心を温める唯一の喜びであった。

ジョーは、フランが居なくなってからの日々を泉の畔で過ごしていた。
冒険好きなジョーが、眠るためだけに戻るこの場所に居続ける事は珍しいのだ。
あれからずっとフランの事を考えていたに違いなく、恋の病に陥ったのか、
時より溜息をついてはぼんやりする事が多かった。
「もう、フランはここへは来ないのだろうか・・・?」
そんな独り言を泉に漏らして、野の花の散る花びらが泉に弧を描いているのを見つめた。
「ソンナニ気ニナルナラ 会イニ行ケバイイジャナイカ」
風の精イワンに声を掛けられても振り向く事もしなかった。
「イワン・・・」
「思ウママニ 行動スレバイインダ」
「だって・・・会いに行くったって、理由がないよ」
「理由ナンテ 必要ナイヨ。ナニヲソンナニ 悩ンデイルンダイ」
「僕は自分が分からないんだ。何を悩んでいるのか・・・。何故こんなにフランの事が気になるんだろう」
「ジョー、キミハ マダマダダネ」
「何なんだよー」
「キミガ ソンナ事デ悩ンデイル間二 フランガ ドンナ事ニナッテイルカ ナンテ 知ラナイダロウネ」
「――――え?」

そして挙式を二日後に控えた晩、眠りも浅く居たフランが物音に目を覚ました。
夜の帳の降りた辺りに目を凝らすと、自分を監視するはずのスカールの手下が倒れている事に気付いた。
囲まれた蔓に近付き、小さく声を掛けてみる。
「どうしたの?」
そこに突然赤い影が現れ、それにびっくりして声を上げそうになったフランの口に温かい手が触れた。
「し!声を出しちゃダメだ」
何処かで聞き覚えのある声に、ゆっくり顔を上げるとそれは赤い髪をしたあの時のミツバチだった。



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