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+++ 雨の日の二人(フラン編・前) +++
※ 雨期ヴァージョンに編集してあります。
―― 桜の花びらの舞い散る木陰で、わたしたちは2度目のキスをした。
―― あのお花見から(春の香り-前後−参照)、数ヶ月が経とうとしているけれど、
―― それ以上わたし達の関係は進展していない。
―― わたし達はわたし達のままで、何も変わってはいなかった。
―― そのことに物足りないとは思わない。いえ、それは嘘になるかしら?
―― ただ・・・‘それ’は、急ぐモノでは無いのだけれど・・・・・。


ある雨の降りしきる6月の梅雨の頃。
週末の午後、わたしはバレエのレッスンに向かわなければならなかった。
外に出たはいいけれど、あまりの雨の激しさに思わず呆然とする。
「すごい雨だわ・・・」
けれどレッスンまでの時間は一刻と迫っている。急がなくちゃ・・・。
強風に煽られまいと、両手で傘を堅く握りしめて自分の車の止めてあるガレッジへと走った。
玄関口からガレッジまでは大した距離ではないけれど、
吹き付ける雨に着ていたブラウスが透けるほどに濡れていた。
車に乗り込み、タオルで手早く濡れた部分の雫を拭き取り、エンジンを掛ける――、
その寸前、わたしを呼ぶ声に振り返った。
「フランソワーズ」
ジョーだった。

傘もささずに走ってきたジョーは濡れた髪にばさばさと頭を振る。
あら、パジャマのままだわ。ふふっ、それに子犬みたい・・・。
「今日は僕が送っていくよ」
わたしの服が濡れている事に気付た様子で、ジョーはわたしから視線を外して言った。
「ありがとうジョー。でも、今日はこの雨だもの、迎えに来て貰うのも悪いわ」
「僕なら全然平気だよ。それよりフランソワーズが心配なんだ」
ジョーの濡れた前髪から雫が滴り落ちる。
「もぅ、心配性なんだから。大丈夫よ!だってわたしは‘003’なのよ?」
普段なら全く使わなくなったナンバーネームだけど、この時は安心させたくてアピールさせてみせた。
「まぁ、それはそうだけど・・・」
歯切れの悪い口調で頭を掻きながら心配そうにちらっとわたしを見て、また直ぐに視線を外す。
一瞬だけ合った瞳があまりにも優しくて、心が温かくなる。
「それに、ジョーはパジャマでしょ?着替えを待ってる時間が無いのよ」
「そうか・・・ごめん」
「何を謝ってるの?ふふっ、じゃ行ってきます」
「うん。気を付けて」
何故か不安げな瞳で、わたしの姿が消えるまで雨の中見送ってくれていた。


レッスンが終わったのは、午後5時を少し回ったところ。
豪雨のせいでいつもよりも早めに切り上がったので、わたしは買い物をしようと街へ向う事にした。
「確か、お味噌とお醤油がそろそろ切れる頃だったわね」
すっかり日本食に馴染んだわたし。それもジョーのお陰かしら?
雨は研究所を出てくる時よりも、更に激しくなっていた。
「早く済ませて戻らないと・・・」
激しく吹き付ける雨。それでもわたしの視界は晴れの時と同じくらいにはっきりとしているし、
雨音に幾らか邪魔されてはいるものの、周囲の音もほとんど聞き取れる状態ではあった。
長靴で遊ぶ子供の水の音、恋人達の愛の語らい、老夫婦のゆったりとした足取り。
こんなに激しい雨にでも人の減らない街。
周囲の音に聞き入っているうちに、目的地のショッピングモールへと着いた。
車を駐車場に止めて、吹き荒ぶ雨を避けながら店内に駆け込む。

「やだ。‘雨の日特売’だわ♪」
思わず慌ただしく品物をカートに入れる主婦の群に溶け込んでゆき、
磨かれた目で食品、生活用品、その他雑貨を吟味している。
そして、たまたま目に付いた店の時計を見てはっとする。
店内の隅から隅をぐるりと見て回り、気が付けば2時間ほど買い物に費やしてしまったのだ。
急いでレジを済ませ、重たい買い物袋を両手に足早に車に向かった。

忙しなく荷物を後部座席へ放り込むような状況でエンジンを掛け、車を走らせて帰路に就く。
雨は更に酷く吹き荒れていて、わたしの視界でさえ少々悪くなっている。
けれど、辛うじて周囲は確認できた。
しばらく走ると数百メートル先の道路が雨の影響で陥没している事に気付いた。
「ダメだわ・・・他の道を探そう」
路肩に車を止めて、目を閉じ手を耳に当て神経を集中させて音を拾う。
激しい雨の音・・・風の音・・・風に煽られる看板の音・・・行き交う車の音・・・人の話し声・・・。
リサーチしてみたはいいけれど、雑音が多すぎてうまく音を拾えない。
思わずわたしは一つため息を漏らした。
「仕方ないわ」
誰が聞いている訳でもないけれど、そんな独り言を呟いて来た道を戻ってゆく。
別の道を探して進んではみたが、やはりその先は水没していて通行止めになっていた。
結局幾つかの道を走った結果、この雨では無駄だと言うことに行き着いて、
一旦バレエのレッスン場に戻るほか選択は出来なくなってしまった。
少し気落ちしてしまったわたしは、元の道をのろのろと戻って行った。
雨はますます強くなる一方。
「早く戻れば良かったわ・・・」
そんな後悔の言葉さえ吐き捨てて。

レッスン場へ着き、車を止めて着替え等の入っているバッグより少し小さめのバッグから
預かっている合い鍵を取り出して、室内へ入ることにした。
静かなロビー、そして誰も居なくなったその場所で、少しの間考える・・・。
「雨が止むまで、ここでこうしているしかないわね」
大きな窓越しに外を眺めて、ため息混じりで言葉に出してしまう。
「もし帰れなくなっても、食事の支度とか大丈夫かしら?」
などと自分の事よりジョーたちの心配が先に脳裏に浮かぶ。
手にした懐中時計の時刻は午後10時を指し示していた。
「連絡を入れておかないと・・・みんなが心配するといけないわね」
まだそんなに遅い時間では無かったけれど、レッスンが終わって真っ直ぐに帰ったとしても、
午後8時前には帰宅しているはず。
なので変に騒ぎ立てられても困ると思って、ロビーにある公衆電話へと足を運んだ。

フランソワーズは、あえて携帯電話を持っていない。
それは普段、自分の能力で周囲の様子を探ってばかりいた為、
少しでもそういった物から離れたいという心の現れか。
自分でも無意識でそれを持つことを拒否していた。
ジョーが‘心配だから持ってよ’なんて言っていたけれど。

トゥルルルル・・・・
  トゥルルルル・・・・
    トゥルルルル・・・・

「もしもし?博士、わたしです。フランソワーズです」
「おお、どうしたんじゃ?」
「ええ・・・それが道路が何処も通行止めだったので、帰れそうに無いんです」
「やはりそうじゃったか」
「え?」
「ジョーがな、心配して君を迎えに行っておるところじゃよ」
「ジョーが?」
「うむ。1時間前に電話があったっきり連絡がとれんがの。
帰りが遅いと言ってな、慌てて飛び出して携帯電話を忘れて行きおった」
「そうですか・・・・」
「それはそれは、かなりの慌てぶりじゃってのぉ」
その言葉に一人頬を染めて嬉しさを感じたのだけど、電話の向こうのギルモア博士に気付かれたくなくて、
気のない振りで言葉を返してしまった。
「まぁ、ジョーったら慌てん坊なんだから・・・」
クスクスと笑って誤魔化してみせる。
「じゃ、連絡が来たら、君がそこへいると伝えておこう」
「ご心配お掛けしてすみません。お願いします」
そう言って受話器を置いた。
そして間もなくわたしは感じた。
車のライトが、見た慣れた赤い色の車が、近付いてくる・・・。
「ジョー・・・」



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