強い風に誘われるように、春がやってくる。 寒空が一気に晴れ渡り、澄み切った青空を呼び覚ます。 木々も花々もみんな一斉に目覚まし時計代わりの風に呼び掛けられている。 「もう春なのね…」 風に煽られる木々の動きをぼんやり見つめながら、温かいコーヒーカップを口に運んでいるジョー。 その様子を伺いながら背中から声をかけるフランソワーズ。 彼女もまた温かなカフェオレの用カップが細い指に包まれていた。 「一緒にいいかしら?」 小首を傾げにっこりと微笑む彼女の笑顔は、それそのものがいつも春であった。 「うん、いいよ」 快く返事をするジョー。 「ありがとう」 満面な笑みを浮かべ言いジョーの隣の席へ腰を下ろすフランソワーズに一瞬顔が硬直する。 向かいの席へ座るのだろうと予測していたジョーはちょっと照れたような表情をした。 慌てて目を逸らすように窓の外を見入っている振りをする。 「春の風って凄いわよね。こんなに吹き荒れて、強引に春を連れて来るみたい」 クスクスっと笑ってまだ照れたような顔をしているジョーに言葉を向けた。 まるで、『もっと積極的に来て』と言わんばかりの口調。 どうせジョーは気付いてはいなかったのだが。 「そうだね、春独特の雰囲気だね」 窓の外を見つめたままそう返してくるのが精一杯のようだ。 その様子に柔らかな笑みを浮かべて、カフェオレを口にするフランソワーズ。 カップをゆっくりと口元から離し、ゆらゆらと甘い香りのカフェオレを揺るがす。 それを見つめながらジョーに話しかける。 「今年こそは、お花見に行きたいわ」 横目でちらっとジョーを見て、またカップに目を落とす。 その仕草はまるで子猫のような悪戯な瞳をしている。 「うん。そうだね」 もちろん、ジョーには見えているが先程の顔の火照りがまだ取れていず、 顔を向けることも出来ずにいた。 「おお、二人とも早いのぉ」 ギルモア博士が声を掛け、その顔は疲れたような表情をしている。 この所ずっと研究室に隠りがちで、思うように結果が出せないようだ。 「おはようございます、博士。お疲れのようですね」 ジョーが気遣って言葉を返す。 「うむ、何ともうまくいかん。イワンも今は寝ているときだからの。仕方があるまい」 ジョーの向かいの席へ着くと、鼻をポリポリと掻いている。 「コーヒーでよろしいですか?」 フランソワーズも疲れ切っている博士に気配りをして、キッチンへ向かった。 「すまんの、フランソワーズ」 その声に振り返りふわりと笑顔を見せる。 彼女の笑顔は天下一品、ジョーはそう言葉には出せずにいた。 「そうだ、博士。フランソワーズが花見をしたいって言っているんです。 博士もどうですか?気分転換にでも。もう時期綻ぶはずですから」 フランソワーズの誘いに全く気の利かないジョー。さすがである。 「そうじゃの、たまには皆で花見でもするか」 博士もなかなかである。 勝手に二人だけで話しを進めていく丁度その時、コーヒーを手にしたフランソワーズが戻ってきた。 もちろんその会話は聞こえていた。 「そうでしょ?みんなで行きましょう、ね?」 にっこり微笑むその顔を作り笑いだとは、誰も気付かない。 天下一品、ジョーは再びそう思っていた。 それからしばらくして桜が開花したと、TVで中継されていた。 真っ先にそれに気付いたのはフランソワーズであったが、催促するのも気が引けてならなかった。 リビングでのんびり過ごす時間を一人そわそわしていた。 「ねぇ、ジョー?」 「ん?なんだいフランソワーズ」 ソファーにゆったり座り込んで読んでいた小説を伏せて答えるジョーに、 言葉の続きを思わず飲み込んでしまった。 「ううん、何でもないの」 少し寂しそうな顔でその場を後にして、眠り続けているイワンの揺りかごの側に行き 意味もないゆらゆらをさせてみた。 ジョーはその様子に気付く事もなく、また小説の続きを読み始めた。 寂しそうな瞳がジョーの仕草をちらちら見ていることにも全く気が付いていない。 と、徐に立ち上がったジョーにびっくりしてフランソワーズは瞳だけを逸らし、 気持ちよさそうに目を閉じているイワンに目を向けた。 意識だけジョーに向けて。 首をポキポキと傾け伸びをして「ちょっと出掛けてくるね」そう言い、リビングを後にしてしまった。 後に残されたフランソワーズはがっくり肩を落とすばかり。 いつもの笑顔に変わり、ため息が一つこぼれる。 スタスタと早足にリビングから立ち去るジョー。 フランソワーズに気付かれまいと、何やら急いでいるらしい。 そのまま外へ飛び出して車に乗り込み、走り出す。 「ふぅ」 ジョーからもため息がこぼれる。しかし、ジョーの場合は緊張をほぐす為のため息のようであった。 「この辺でいいかな。さて、連絡するか」 適当な場所まで走り、車を止めた。ポケットから携帯電話を取り出し何処かへ電話をかける。 「Hello、僕だよ、ジョー。うん、うん、じゃ、そう言うことでよろしくね」 「あ、僕だよ。そうなんだ、で、そろそろ頼みたいんだ」 「もしもし?僕……」 「ジョーだけど………」 「これでよし!」 あちらこちらに電話を掛けまくって一息つく。 ふと近くの木に目をやると桜の花がまばらに咲いていることに気付いた。 「そろそろこの辺にも春らしさがやって来たな」 さーっと流れる春の香りを吸い込んで、眩しく目を細めた。 「どうしよう、出掛けるって言ったものの行く当てがないや」 一人でクスリと笑いが込み上げてくる。 離れた場所まで行かないとフランソワーズに気付かれてしまう為出て来たはいいが、 時間を潰すのに少し困ってしまった。 綻び始めた桜を横目に再び車を走らせた。 「どうしたんじゃ、フランソワーズ」 気落ちしているフランソワーズの元へ、研究室から出てきた博士が心配そうに声を掛けた。 「あ、博士…何でもないです。お茶でもいかがですか?」 気を取り直しいつもの笑顔に戻ったフランソワーズはゆっくりと腰を上げた。 その笑顔が少しだけ雲っているのに、ギルモア博士は気付いていた。 「ジョーに言わないでくれと頼まれたが…気の毒に見えるのぉ」 心で呟き、ソファーに座り込んだ。 紅茶を手にしたフランソワーズが戻ってくると、博士は気を紛らわす為に言葉を探した。 「どうじゃ?バレエの方は」 ティーカップに爽やかな香りのするハーブティーを注ぎながら答える。 「ええ、お陰様で順調です」 「今度の公演はいつ頃じゃ?」 「まだ先の話しですけど、次は『シャルル・ペローの眠れる森の美女』を予定しているそうです」 「そうか、もちろんフランソワーズはオーロラ姫であろう?」 「うふふ。そんなにうまくはいかないですよ」 思わず笑顔がこぼれる。やっといつもの笑顔に戻ったようだ。 せっかくの和みの場を乱すようにジョーが戻ってきた。 つくづくタイミングの悪い男だ。博士はその言葉を胸にしまい込んだ。 「お帰りなさいジョー。早かったのね」 「あぁあ、う、うん。大した用事ではないからね」 「そう。じゃ、帰ってきたばかりで悪いけど、そろそろランチの用意をするから手伝ってくれる?」 「うん、いいよ」 博士の言葉に少し気を良くしていたフランソワーズで良かった、と 遠巻きに二人の様子を見守るギルモア博士であった。 |
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