表にわたしの車が止まっている事に気付いたのか、 血相を抱えてバタンと大きな音を立ててジョーがロビーに入ってきた。 「フランソワーズ!」 「ふふふ・・・そんなに大きな声を出さなくったって聞こえてるわ」 そんな言葉など耳に入らないかのようにわたしは勢い良く抱き寄せられてしまう。 力強いその腕に少し痛みを感じたけれど、何故か心地良くて暫くそのままでいた。 そして我に返ったように耳まで赤味が差したジョーは突然わたしから離れる。 それは戦闘時には欠かせない加速措置よりも早く感じられた一瞬の事。 「ご、ごめん」 「ふふっ・・・あははは」 笑い出したのはわたし。 「ごめん・・・」 「ジョーったら、どうしちゃったの?いつものジョーらしくないわ」 小首を傾げてまだ笑いの隠った表情でいたと思われるわたしは、俯き加減のジョーの顔を覗き込む。 「うん・・・その・・・」 「なぁに?」 口ごもったその顔は、幼い少年そのままの姿。 それだけにますます大人口調になってしまうわたし。 「何でもない」 困った表情で頭を掻くジョーに微笑んで、一言お礼を言った。 「心配してくれてありがとう」 「うん、その・・・本当に心配してたんだ」 それは、わたしを抱き寄せてしまった理由の言い訳のように聞こえた。 「ええ、分かっているわ。ありがとう、ジョー」 わたし達はレッスンフロアに行き、わたしは普段のレッスンの様子を話し込んでいた。 その話に真剣に聞き入ってくれるジョー。 「でね、ここはこうしてこう回るのよ」 ジョーと一緒に居られるこの瞬間が嬉しくて、わたしははしゃいでいた。 わたしを見ていてくれるジョー。温かい空間。 ジョーに目を移すと、ジョーの瞳がぼんやりしていることに気付いて、 そのままふわりとジョーの元へ腰を下ろした。 「大丈夫?眠くなったかな。あ、お腹空かない?」 「大丈夫。僕は子供じゃないよ」 少しむくれるジョー。 「ふふふふふ」 時間を忘れて話し込んでいたけれど、あっという間に午前0時に差し掛かろうとしていた。 「ちょっと待ってて、ショッピングモールで買ってきたブレッドがあるわ。取ってくる」 「いいよ、まだ雨が強い。濡れちゃうよ」 そんな言葉など聞きもせず、車に食料を取りに走ったわたし。 そしてレッスンフロアへ戻ってくると、案の定ずぶ濡れになってしまった。 「ジョーの言った通りだわ」 ジョーはシャツが濡れて肌の透けるその姿に、目のやり場に困っている様子。 「大丈夫よ!着替えてくるわ」と言って、大きなバッグを見せた。 薄青いレオタードとレッスン用に多めに持ってきていたTシャツで、 濡れた頭から大きめのバスタオルを被って戻ってきた。 わたし達はロビーへ戻り自動販売機で温かいコーヒーを買って、 ロビーの小さなテーブルを前に持ってきたブレッドを囓っていた。他愛のない話しをしながら。 静かなロビーにはわたし達の声が穏やかに響いている。 すると急に真面目な顔をしたジョーがぽつりと言った。 「実はさ、昨夜、嫌な夢を見てね・・・」 「夢?」 ジョーの瞳が寂しげになって、心配になったわたしは更にジョーの側に寄り座った。 「うん。雨の日の夢で、僕らは戦っていたんだ。今はこんなにも平和を感じるのにどうしてだろう」 「そうね、今までそう言う日々の中過ごしてきたんだもの、そんな夢を見ても仕方がないわ。 きっと疲れているのよ、ね?」 「うん・・・それで・・・その・・・」 言い難そうに口を開きかけて、また閉ざしてしまったジョー。 「それで?何かあったの?」 「・・・・・」 寂しそうな栗色の瞳。何処を見ているのかしら? 手元のコーヒーの入った紙コップを握りしめてカップの中身を通して遠くを見ている様子。 「ジョー?」 そして重たい口調で話し出す。 「君が・・・。君を失いそうになって、僕は・・・」 そこまで言ってまた黙り込んでしまった。 「そう。それで朝あんなに心配して声を掛けてくれたのね?」 言葉無きに頭をこくんと下げるだけのジョー。 「大丈夫よ!ほら、わたしはここに居て、何ともないでしょ? 例え何かあっても、わたしはあなたの側を離れることは無いわ!そうでしょ?」 元気付けようと目一杯の笑顔を振りまいた。 レッスンの後、いつもは午後8時前には帰宅していたはずのわたしの帰りが遅いことで、 ジョーはやきもきしていたに違いない。 雨・・・戦い・・・一体どんな夢を見たかなんて解り得ないけれど、 ジョーがわたしを大切に思っていてくれる事は感じている。ただ優しいだけではないと。 濡れた髪が乾き掛けた頃、少し寒さを感じて身震いをさせたわたし。 気付かれまいとしていたけれど、ジョーは何も言わずに着ていたジャケットを羽織らせてくれた。 「ありがとう」 優しい温もりが背中から心までじんわりと浸み入って来るのを感じる。 そしてそのまま無言になった。 誰も居ないロビー、静かな二人、雨の音・・・。 そう言えば少し雨音が優しくなっていて、ジョーに声を掛けた。 「もう、雨は大丈夫かしら?」 そう言って立ち上がるわたしの腕を掴み、ぐいっと引き寄せられた。 「ジョー・・・?」 先程までの寂しそうな表情とは少し違うのだけれど、何かを訴えるような表情。 あどけないその表情に、わたしは座ったままで居るジョーの頭部をふわりと包み込んでいた。 胸元に感じるジョーの息。柔らかい髪の感触。温かい頬。 ジョーもわたしの腰に腕を回して抱き寄せて、わたしたちはまた無言になった。 すると急にわたしの胸が鼓動を早くさせていく。絶対聞こえている・・・恥ずかしい・・・。 ふとジョーが顔を上げてわたしを見つめる。脈はどんどんアップテンポになる。 あぁ・・・‘助けて’と声に出しまいたい。 わたしたち、このままどうなるの―――――? 「そろそろ行こうか?」 え? わたしはその言葉で一瞬拍子くるって胸を撫で下ろす所ではなかった。 一呼吸置いて「そうね」と言うのが精一杯。 ますます恥ずかしさを感じてしまった。 結局わたし達は雨の夜を一睡もする事なく朝を迎えた。 時刻は午前5時。 大きな窓辺にゆっくりと近付き外を眺めてみる。 外はまだ薄暗く、月が夜との別れを惜しむかのように太陽の光の届かぬ場所で小さくなっている。 あんなに荒れていた空は嘘のよう。 窓を覗き込んでいるわたしの隣にジョーが立ち、‘朝靄が綺麗だね’と言った。 同じ事を思っていたので嬉しく思って、笑みが零れた。 「ホントに綺麗・・・」 ゆっくりと昇る太陽に照らされて、ジョーもわたしも温もりのある色に染め上げられていった。 光に染まりつつあるジョーの横顔を見つめて、幸せって何気ない一つに一つに感じられる物だと、実感した。 そしてジョーはわたしの方に顔だけ向けてそっと頬にキスをくれ、また昇る太陽に見入る。 そう・・・これだけでいい。何も・・・急がなくても、これで充分だわ。 わたしを大切に思っていてくれて、ゆっくりと瞬間(とき)を進めるジョーが好きなんだもの。 窓に目を戻すと綺麗に昇り切った、生まれたての太陽が眩しくわたし達を包み込んでいる。 金色に輝くジョーの髪、瞳、唇・・・まさに幸福の光のシャワー。 ‘この人とずっと一緒に生きてゆきたい’心静かに太陽に祈った。 ![]() |
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