チチチ・・・ピチュピチュ・・・チーチー・・・ 長い間、白い雪に覆われていた広い野山に春がやってきた。 大地が喉を潤すように雪を溶かし、青い絨毯がゆっくりと広がってゆく。 目覚めた木々の新芽が訪れたばかりの春の様子を伺い、 恋をする森の動物たち。そして草花もまた恋をする季節。 そんな物語がこの誰も知らない静かな野山で繰り広げられてゆくのだ。 春の訪れを、彼方此方に知らせ踊る小鳥のさえずりに目を覚ましたある野花。 (ああ・・・待ち遠しかった春、わたしの愛しい人・・・) 眩しい日の光に目を細め、愛しい人を思い浮かべているのだろう美しい花の精。 「小鳥さん、ありがとう。やっと春がきたのね」 優しい笑顔で小鳥に挨拶する彼女は、ある野花の雌花の精フラン。 そして彼女の愛しい人、同じ花の種族である冒険好きの雄花の精ジョー。 「今年は彼に逢えるかしら?」 少し不安げな雌花の精フランは、彼女の周りで彼女との出会いを待っているであろう 幾つもの雄花のつぼみを見渡した。 去年の春、雄花の精ジョーは偶然にも彼女の近くに咲き、 あどけなさの残る屈託のない笑顔で彼女の心を独り占めにした。 今年も彼女の近くに現れるのかは、この大地と神のみぞ知る・・・。 「よぉ!元気だったか?」 声を掛けてきたのはミツバチのジェット。 空を自由に飛べるジェットを、羨んで仕方のないフラン。 今年はその気持ちがいつもの年より遙かに大きくなっていると言うことは、 言うまでもないだろう。 「あらジェット、今年は早いのね」 毎年寝坊の常習犯のジェットにしては、珍しく早い春の初飛びだったらしい。 「おぅ、たまにはな!」 そう言って、得意げにクルリとその場で宙返りをして見せた。 「あなたは良いわね。自由に空を飛べて」 少し寂しそうな顔をしたフランに、ジェットは意味有りげな笑みを浮かべ一言。 「そしたら君は、誰かさんの所へ一っ飛びか?」 「そっ、そんなんじゃないわ!本当に羨ましいって思っているのよ」 ジェットの言葉に大きく否定しながら、内心はズバリその通りであった。 その様子にまたニヤッとするジェットが、 半分はからかい気味で半分はフランの気持ちを察して言った。 「あいつが何処にいるか、俺が探してやろうか?」 (え!本当に!?) と言う言葉が喉まで出かかったフランだが、その気はないのよ、という素振りで 「結構よ!」と強がって見せる。 「ま、その気になったらいつでも言えよ。俺は自由に飛べる身だからな!」 嫌み混じりの言葉を残し、ミツバチのジェットは円を描くように空へ上っていった。 その姿を羨むように見つめ、呟く雌花の精フラン。 「ジョー、あなたは今何処で何をしているの・・・?」 ピチュン、チーチー・・・ 「んー!!あれ?もう春か・・・」 雌花の精フランの気持ちを知ってか知らずか、 雄花の精ジョーが春の穏やかな日差しと小鳥のさえずりで目を覚ました。 大きく腕を広げ背伸びをし、眩しく光る春の日差しを見上げる。 「さーて、今年の僕はどの辺に居るのかなー?」 地上からあまり距離の離れていない背の低い野花なので、 いくら背伸びをしてみても、辺りの様子など分からないに等しい。 空に舞い上がれば、その様子は一目瞭然なのだが・・・。 雄花の精は、ただひた向きに恋人を待つばかりの雌花の精とは違い、 風に乗ればある程度は移動可能だ。 「少し風があるな」 そう独り言のようにぽつりと言い、空を見上げ雲の流れを見つめた。 「ようし!次の風が吹いたら大きくジャンプだな」 そう言って胸を弾ませる雄花の精ジョー。 好奇心旺盛なジョーは冒険が好きなのだ。 ジョーのことを待わびているフランのことなどあまり気にならない様子。 少年の心を大半とする雄花の精ジョーだけのことはある。 乙女心に鈍いのはさすがだ。 そして風が吹き、タイミングを合わせ跳ね上がるジョー。 そのジョーをすくい上げるように優しく包み込み宙へと導いてくれる風。 髪をなびかせ頬に風を受けながら、ながれる空気に乗り、 辺りの景色を見渡すジョーはすっかり気分を良くしていた。 「すごいや!今年はこんな場所に咲いたのか」 ジョーの目覚めた場所はこの地では一番高い山の切り立った崖に近かった。 その山はこの地の最北端に位置する。 南側の平原に咲いたフランとは全く逆の方角だった。 「ヤァ、オバナノセイジョー。コトシハドコヘ イクンダイ?」 誰もまだこの風には乗っていないはずだが、ジョーの耳元で声が聞こえる。 声の主は姿を現さないが、ジョーには感じていた。 「あぁ、イワンだったのか。僕を運んでくれているのは」 声の主は風の精イワン。姿が見えないのは当たり前だった。 「何処へ行くのかは、考えていないんだ。適当なところへ下ろしてよ」 冒険は行き当たりばったりだと思っているジョー。 「ワカッタ。ジャ、アノモリへ イッテミナイカ?」 「あの森?」 森へはまだ一度も足を踏み入れたことないジョーは期待に胸を弾ませた。 ほんの少しだけフランとの距離を縮めていたことは、まだ誰も知らない。 |
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