| 僕たちはレッスンフロアに行き、彼女は普段のレッスンの様子を夢中に話していた。 そんな彼女がとても微笑ましくて、聞き入っていた。 「でね、ここはこうしてこう回るのよ」 などと言って、背筋を伸ばし華麗に回転して、すっと足を伸ばす。 たまたま着ていた服の淡い色のせいもあり、ひらひらとスカートの裾を靡かせて 素足で踊ってみせるフランソワーズは、花の妖精そのもの。 そんな彼女に、ただただ見とれるばかりの僕。 そしてまた柔らかい笑みを見せて、僕の元へ舞い降りてきた。 「大丈夫?眠くなったかな。あ、お腹空かない?」 「大丈夫、僕は子供じゃないよ」 子供扱いする彼女に、僕は喉まで出かかった言葉を言い返そうと思った。 ‘君だって子供みたいにはしゃいでいるじゃないか’ってね。 でも、言わない。そんな彼女が好きだから・・・。 気が付けば、時刻は午前0時に差し掛かるところだった。 彼女は何か思い出したように大きな蒼い目を更に大きくして、すっくと立ち上がった。 「ちょっと待ってて、ショッピングモールで買ってきたブレッドがあるわ。取ってくる」 「いいよ、まだ雨が強い。濡れちゃうよ」 そんな言葉など聞きもせず、車に食料を取りに走ったフランソワーズ。 ‘やっぱり子供なのは君の方だよ!’彼女の香りの残るフロアで笑いが込み上げてきた。 「ジョーの言った通りだわ」 戻ってきた彼女の濡れた服にほっそりとした肩が顕わになり、僕の目をやり場に困らせた。 その事を予想していたかのように、 「大丈夫よ!着替えてくるわ」 と言って、大きなバッグを見せて更衣室に向かって行った。 着替えて戻ってきた彼女は、レオタードと身体にフィットするTシャツ姿で、 ますます華奢な体の線を強調している。 気を失いそうだよ・・・・・勘弁してくれ。 辛うじて頭から被っているバスタオルが唯一の救いだったように感じた。 僕らはそのままロビーに移動して、自動販売機の温かいコーヒーと彼女が持ってきてくれたブレッドを囓り、 また他愛のない話を繰り返した。 その間も僕はあの夢の事が頭から離れず、とうとう口にしてしまった。 「実はさ、昨夜嫌な夢を見てね・・・」 「夢?」 「うん。雨の日の夢で、僕らは戦っていたんだ。今はこんなにも平和を感じるのにどうしてだろう」 「そうね、今までそう言う日々の中過ごしてきたんだもの、そんな夢を見ても仕方がないわ。 きっと疲れているのよ、ね?」 僕を気遣い、安らぎを与えてくれるような彼女の言葉が嬉しかった。 「うん・・・それで・・・その・・・」 胸を締め付けられるような思いで次の言葉が出せない。 「それで?何かあったの?」 「・・・・・」 手元のコーヒーの色が、あの夢の色と重なって再びあの苦しみが溢れ出してくる。 「ジョー?」 言ってしまっていいのだろうか・・・? 「君が・・・。君を失いそうになって、僕は・・・」 そこまで言って僕は言葉を失った。 「そう。それで朝あんなに心配して声を掛けてくれたのね?」 声を出せずに頷くだけが精一杯だった。声を出すと、この震えを気付かれてしまう。 「大丈夫よ!ほら、わたしはここに居て、何ともないでしょ? 例え何かあっても、わたしはあなたの側を離れることは無いわ!そうでしょ?」 僕を元気付けようと温もりの溢れる笑顔を振りまく彼女に、夢の中でどうする事も出来なかった自分を責めた。 それに、敵は僕自身だったんだ。そんな事言えるはずがない。 雨に濡れた身体が冷え切ってしまったのだろう、彼女の身体が僅かに震えていた。 勢いで抱き寄せてしまいたかったけれど、ジャケットを羽織らせるだけにしよう。 「ありがとう」 彼女の柔らかな表情に、ぐっと拳を握った。 しばらく無言になってしまい、気持ちを落ち着かせる事に気を置くばかり。 その時、僕の緊張を解くかのように彼女が声を掛けてきた。 「もう、雨は大丈夫かしら?」 そう言って立ち上がろうとする彼女の腕を、何を思ったのか僕は握りしめていた。 「ジョー・・・?」 僕には君が必要だ。君が好きだ・・・君が・・・・・・・・・・・・・・。 そんな僕の気持ちを悟ったのか、彼女が僕の頭部を包み込むように腕を回してきた。 その行為に僕も釣られて彼女の腰に腕を回した。 ダメだよ・・・フランソワーズ。僕は・・・僕は・・・。 僕の鼻先に感じる彼女の胸元で鼓動が早くなるのを感じ、僕の鼓動と同じくらいにテンポを揃えてくる。 僕が顔を上げるとフランソワーズの瞳が潤んでいて、何故かほっとした。 あの敵は僕自身。そう・・・迷いのある僕だったんだ。 当たり前のように側にいて、当たり前のように過ごす時間。 それが普通すぎて、彼女に対する自分の気持ちが霞んできてしまう。 もう一度自分の気持ちをきちんと整理しろって、あの夢が教えてくれたんだろう。 ‘僕は君を愛している・・・・もう、迷うことはないよ・・・。ごめんよ、フランソワーズ’ 「そろそろ行こうか?」 拍子抜かれたような顔をする彼女に悪戯っぽく言ってやろうかと思ったけど、やめといた。 「そうね」 ぽつりと言う彼女をとても愛おしく大切に感じたから。 時刻は午前5時。 今まで一緒に過ごしてきて、こんなに緊張感のある朝を迎えた事はなかった。 もちろん、戦いとは別の意味で。 彼女の足が大きな窓辺へと向かったのに釣られて、僕も隣に立った。 静かな夜明けが、心に染み入る温もりと化している。 「朝靄が綺麗だね」 オレンジ色に染まる景色に、彼女も同じく感じているだろう言葉を言った。 それに対して嬉しそうに返してきた。 「ホントに綺麗・・・」 オレンジ色がどんどん大きくなり僕らを包んでゆく。 僕らの未来もこんな色をしているといいな、君は何を思ってこの景色を見ているだろう? 横を見ると太陽の光に煌めく瞳が美しくて、思わず彼女の頬にキスをした。 丁度いい具合のオレンジ色の光に、僕の頬が染まっても気付かれないだろう。 ‘君を幸せにするよ’そう心に呟き、彼女の手を取った。 ![]() |
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