BGM


+++ 初夏の風 +++




六月某日───


風が時より強く吹き付けては、初夏の香りを運んでくる。
ジョーはやや日差しの強くなったこの季節に、
躍らされるように愛車を走らせた。


ギルモア邸からフランソワーズの姿が見える。
「気をつけてね」と、手を振り送り出してくれていた。
ジョーも、それに応えるように軽く手を挙げると、
更にアクセルを踏み込んだ。


本当は、フランソワーズを誘うつもりだった。
彼女は少しの間をおいて、バレエのレッスンがあるという事で、
断わりの言葉を小さく返してきた。
彼女はちょっとがっかりした様子だったが、
ジョーもまた小さく肩を落としたのだった。

こんな清々しい日和に部屋に閉じこもっているのは勿体ないと、
たった一人のドライブに出る事にした。


風が気持ちいい。
この辺りは潮風が感じられ、徐々に青さを増す波間を横目に
潮の香りを吸い込んだ。


どのくらい走らせただろうか?
山の緑や色取り取りの花のラインを辿ると、
そこは開けた田舎の湖だった。
この陽気だけに、さすがに観光客も多い。
釣りを楽しむ人々や、小さな笑い声をさせながら走る子供連れの家族。
まだあどけなく、付き合い始めたばかりのような恋人たち。
それらを眺めて自然と顔が綻ぶ。


その中に独り、湖に訪れた渡り鳥の群れに
餌をまき与えている少女に目がとまった。
少女の背中はやや寂しさを伴うような、
何かに思い耽っているように映っていた。
ジョーは1台分の駐車スペースを要約見付けると、
少女がその場にいるのを確認しつつ、エンジンを切った。


少女の周りには鳥たちがざわめくように集まり、それを見てはしゃぐ子供たち。
少女は誰とこの場所に訪れたのだろうと、ジョーは一瞬辺りを見回した。
連れの者が居れば、何処からか彼女に向けられた視線を感じるはず。
だが、その視線は感じられず、どうやら少女は一人でこの場所に訪れたようだった。
少し遠巻きにその様子を見入っていたジョーに、ふと耳に老夫婦の声が入ってきた。
「おや、あの娘さんたら、また来てるわね」
「そうじゃね。鳥たちが喜んでおるね」
穏やかな声に振り返ると、老夫婦は優しげな眼差しで少女を見詰めていた。
そして、人の良さそうなその老夫婦に軽く会釈をして、ジョーは話しかけた。
「あの子は、いつもここへ?」
「そうじゃねえ、いつくらいからだったかねぇ?」
「2年くらい前じゃないかしら?」
「2年?」
「あんたは、あれかい?ここらの方じゃないね?」
「僕はドライブがてらに遊びに来た、観光客の一人ですよ」
栗色の髪をさらりと靡かせ、にこやかに細める瞳を向けると、
老夫婦は釣られるように微笑み返す。
そんな老夫婦との会話が続き、あの少女の話に聞き入った。


2年ほど前に、この湖に訪れた名の知れぬ九羽の渡り鳥。
その群れは、どの渡り鳥の群れよりも、不思議な絆を感じるという。
そして、九羽の世話をするように娘が訪れるようになり、
今年もこうしてこの時期にやってくる九羽を迎えて、
娘もまたやってきたのだと言う。


他愛のない日常の一齣に過ぎないこの場面を、
ジョーは何処か寂しげに感じ取っていた。
少女は渡り鳥に囲まれ、更にはそれを楽しむように集まる人の輪の中心にいた。
幸せそうに微笑む少女の、楽しげに見えるその光景に、
何故寂しさを感じるのか、その理由が解らなかった。


そして、その輪の中に誘われるようにジョーは足を向ける。
「こんにちは」
少女の顔を覗き込むように顔を傾けて、言葉を掛けた。
その声に顔をあげた少女は、透き通るような白い肌に、
大きく、そして、深みのある黒曜石の様な瞳でジョーに微笑んだ。
「僕も、餌をあげてみたいんだけど、いいかな?」
ジョーの穏やかな口調に、少女は「どうぞ」と言って、
小袋から少量のコーンを砕いたような巻き餌を小分けにしてくれた。

「いつもここへ来てるの?」
「いつも、って訳でもないんだけど、
何となく、鳥たちに会いたくなった時は来ちゃうかな?」
話してみても、その辺にいる少女と全く変わりない普通の少女だ。
では、何故寂しさを感じるのか・・・?
ジョーは、それが気になって仕方がなかった。

「鳥たちに会いたくなる時って、どんな時なのかな?」
「ん〜・・・」
少女はそれ以上言葉にしてくれなかった。
「あ、ごめん。いいんだ、別に。無理に聞くつもりはないから」
慌てて、手をひら付かせて笑いを浮かべる。


「会いたい人に会いたくなった時、かな・・・」
そう言って、少し寂しそうな瞳で鳥たちを眺めていた。
ジョーは、なんだか聞いてはいけない事を聞いてしまったのかなと、
少し後悔していたが、少女は直ぐさま笑顔になって、
ジョーに向き直った。
風が少女の黒髪を撫でるように浮かせて、
きらきらした光沢が目に眩かった。
「好きな人がいるの」
「そうか、好きな人か」
ジョーも少女に合わせるように笑顔が自然と溢れ、
同じように風に浮かされた栗色の髪を掻き上げた。


そして、少女はまた鳥たちに視線を落とすと、
ゆっくりと言葉を綴っていった。
「その人はね、すごく優しくて、わたしの憧れで。
いつも夢を与えてくれた人なの」
そうか、とジョーは仕切りに相槌を繰り返す。
しかし肝心な事が聞けない。
その人に会いたくなるとここへ来るという事は、
その人には会えないからなのか?と。
少女はジョーの脳裏を読み取ったかのように、
再びジョーに向き直してさらりと応えた。


「その人は、いつでもわたしの心の中にいるの。
とっても素敵な、とっても大好きな人・・」
そしてジョーはその瞬間、ハッとした。
少女のほっそりとした人差し指が、自分の胸の辺りに触れられたいた。
「え・・?」
ジョーが問う間もなく、少女はりんとした表情を笑顔に変えて、
「また何処かで会いましょうね」と、手を振って走り去った。


一瞬何がどうなっているのか、
ただ呆然と少女の小さくなる後ろ姿を見送っていた。


そして僕は思った。
誘われるようにこの湖を訪れ、この大勢の観光客の中の、
たった一人のあの少女に意識を置かれた事。
これは偶然ではなく、寧ろ必然であったんだと。
あの少女は、僕へこの場所に来るようにと、誘(いざな)ったのだと。
それはどこか懐かしさを伴って何とも心地よく、
そして再び彼女に出会えるであろうという、
当てもない予感が僕を包み込んだ。
あの少女に感じた寂しさは、寂しいという思いではなく、
それは少し切ないような何か意を決した、旅立つ者の、
それと似ている。


名の知れぬ九羽の渡り鳥は、少女が去った後、静かに飛び立った。
「また何処かで会おう」と、約束を交わしているかのように。


それは、とても不思議な出来事だったと、
微笑みを浮かべて、白い雲を見上げるジョーの前髪を揺るがせ、
季節代わりを知らせる初夏の風は、流れ続ける。




++ キャスト ++
少 女
九羽の渡り鳥
少女を取り囲む人々
ジョー
 : 霜月さま
 : 00ナンバーズ
 : 霜月さまの元へお越しになるお客さま
 : (友情出演)



+--霜月さまへ--+

009小説サイト、N.B.G公園にて霜月さまにお目に掛かって
かれこれ2年程経ちましたでしょうか?
長いようで短い期間でした。
この度サイトを閉鎖されるとの事で、
感謝の気持ちを込めて
拙い小説ですが贈らせて頂きました。
どこかでまたお逢いできることを願って・・・。
本当にお疲れ様でした!
♪:傍にいるよ
遠 来 未 来

背景:湖
自然いっぱいの素材集

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